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卒業レポート

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2024.04
石田秀
第47回生 - オックスフォード大学
卒業後の進路:Autodesk Research

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 第47回学術部門奨学生の石田秀です。この春学期をもって、オックスフォード大学大学院工学部博士課程を卒業する見込みとなりました。江副記念リクルート財団には、学部3年よりご支援いただいて以来、計6年間もの間お世話になりました。このご支援なくしては、オックスフォード大学博士課程への進学は叶わなかったといっても過言ではなく、財団の皆様のおかげで今の自分があると思うと感謝してもしきれません。本レポートでは、自分の研究について紹介し、研究や留学生活で得た学びと経験について振り返りたいと思います。

 

博士研究

 自分はAIMS(Autonomous Intelligent Machines and Systems) Centre for Doctoral Trainingという博士課程プログラムと、Visual Geometry Groupというコンピュータ・ヴィジョンの研究室に所属しており、人工知能の行動学習について研究しています。博士研究のテーマは、Spatial Reasoning and Planning for Deep Embodied Agents、意訳すると『身体性のある人工知能のための深層学習による空間把握と行動計画』というものです。Embodied Agentsとは、身体性や意思決定能力のある行動主体という意味で、ロボットのようなものです。簡潔に言えば、ロボットが新しいタスクを学習データから習得するためのアルゴリズムを研究しています。これらのアルゴリズムは、ロボティクスだけでなく、パズル、ゲーム、自動運転などにも応用できます。

 産業ロボットなどは半世紀以上も前から活躍していたのに対し、同じロボティクスでも例えば自動運転は未だに完全には解決されていない難題のひとつです。この二つは何が根本的に違うのでしょうか。いくつか違いがありますが、以下に大きな違いを二つあげてみます。

・「完全情報」と「不完全情報」:産業ロボットの場合、周囲の環境や制作工程がすべて管理されてパターン化されており、ロボットは反復的に作業を繰り返せばよい場合がほとんどです。この場合、ロボットはタスクをこなすのに必要な情報をほぼ完全に把握していると考えることができます。一方で、自動運転の場合、他の自動車や歩行者の動きを予想することは難しく、カメラやレーダーなど、限られたセンサーの情報を元に状況把握および行動計画を行う必要があります。このような情報の不完全性が課題解決を困難にしています。

・「人間による規則の記述」と「データからのパターン学習」:産業ロボットのように、工程がある程度パターン化できる場合、人間が行動規則を直接コードとして記述することができます。一方で、自動運転のように、想定されうる状況が莫大で、すべてを記述しきれない場合は、データから直接模範的な行動を学習する方が現実的ですが、人間が当たり前のように理解している規則や論理、空間把握を、人間の手助けなくして人工知能がデータから自動的に学ぶ必要が生じます。

 このような理由から、学習データを元に空間把握や行動計画を自律的に行える人工知能はまだ未解決問題のひとつです。とはいえ、近年の目まぐるしい人工知能の技術の進歩により、このような難題も近いうちに解決される可能性も十分にあります。

 自分の博士研究においては、ロボットの経路計画、強化学習アルゴリズムにおけるスキル学習、自然言語モデルにより生成されたプログラムによる車の自動走行、マインクラフトという3次元のシミュレーションゲームにおける人工知能の行動学習という、四つの研究プロジェクトを遂行しました。特に、昨年はWayveというロンドンの自動運転のスタートアップで半年間研究インターンをする機会をいただきました。現在従業員が200名規模の会社で、チームを越えた交流や社交も盛んで、各々のチームの進捗を社内で共有する仕組みや、新しいモデルを組み込んだ自動運転車の体験が気軽にできる仕組みなどが整っており、とても良い学びとなりました。

 課外活動として、大学のロボカップのチームの一員として、シドニーとタイで開催されたロボカップに参加しました。また、人工知能ソサエティでは一年生の時に人工衛星の画像解析により山火事を検出する研究プロジェクトを率い、今年は画像生成AIなどが食文化の多様性をどれだけ尊重しているかについて分析を行う研究プロジェクトに携わっています。

ロボカップの競技場

 

留学を通じて学んだこと

 2015年に学部生としてオックスフォード大学工学部に進学してから今年で9年となりました。自分の人生の3分の1をオックスフォードで過ごしたと考えるととても感慨深いです。異国の地で友達を作るのに必死だった1年生の頃の自分を思い出すと、随分とこちらの風習や社交にも慣れ、落ち着きと余裕を得たように感じます。一方で、そろそろ第二の故郷のようになったオックスフォードの地を離れて、人生における新たな一歩を踏み出す良い時期のようにも感じます。

 留学をしたことにより得た一番の財産は、世界に視野が開けたことだと思います。様々な国出身の学生とカレッジという居住空間を共有し、ディナーやソーシャルイベントで親しくなる中で、自分の知らなかった世界を垣間見ることが多々ありました。出身国や文化が違えば価値観やバックグラウンドも違い、物事を安易に捉えて深く考えていなかった自分に気づかされることもあります。世界は複雑です。例えば、残念なことに隣国同士で戦争をしている国からの学生もいます。同じラボにもウクライナ出身の学生とロシア出身の学生がいますが、皆どちらとも親しく接しています。自分の祖国に帰れない人もいます。過去に植民地支配をした国出身の学生と、支配を受けた国出身の学生、宗教の異なる学生、国際化の恩恵を受けている先進国の学生、国際化の波に飲まれて自国の文化や言語が失われていく開発途上国の学生。このような様々なバックグラウンドを持った学生たちと一つの屋根の下で友情を育み、価値観を共有し、意見交換をしてきたのはとても貴重な体験だったと思います。

 このように様々なバックグラウンドの人と話す中で、自分の発言や自分の中での暗黙の前提にも注意を払うようになりました。例えば「日本は~」、「アメリカは~」、「日本人は~」、「イギリスの大学は~」という一般化はとても危険で、ほぼ必ず誤りです。自分は日本人でこそありますが、生まれ育ちは東京ですので、自分の発言で言っていた「日本」はよく考えてみれば「東京」だったということがよくあります。友人に日本の文化や暮らしについて問われた時、その無意識的な一般化にはっと気づかされることが多々ありました。日本の教育、イギリスの教育を語るにしても、自分の知識や直接的な経験はごく一部に過ぎません。イギリスに留学して一年目は「日本は~」、「イギリスは~」とよく比較していましたが、最近はそれを意識的にやめて、「オックスフォード大学では」、「工学部では」、「自分の身近なところでは」などと、それぞれの状況に応じて具体的な修飾語をつけるように心がけているつもりです。

 このように様々なバックグラウンドや価値観が混在する中で、もちろん当たり障りのないことをいうこともできますが、ここぞという大事な時には自分の意見と軸を持つことがとても大切です。「空気を読む」というのは実は日本人に限った話ではなく、英語でもRead the roomという表現があります。特にイギリスは本音と建て前を使い分ける国ですので、日本とメンタリティーが似たところもあります。しかし、常に空気を読んでいるだけではその場での多数派に流されてしまいます。日本人はやはり海外ではマイノリティーなので、自分にとっては当たり前のことでも、相手に説明しなければ伝わりません。自分の価値観の結論だけを言ったのでは、極端な、変わった考えを持った人だと思われてしまうかもしれません。しかし、なぜ自分がそのような価値観を持つに至ったのかという経緯を説明すれば、価値観が違えども、互いのことを理解し合い尊重することは十分に可能だと思います。

 価値観の違いは、文化や出身国の違いだけではなく、専門科目についても言えます。オックスフォード大学のカレッジ制の良さは、学科や研究室というくくりを越えて、様々な専門分野の学生と日常から交流し、友情関係や信頼関係を築けることにあります。オックスフォード大学の真髄がこのカレッジ制にあるといっても過言ではありません。このカレッジ制の良さは学部生の頃から体感してはいたものの、学部の頃は同じ学科の人たちと寝食を共にした方が勉学や情報共有の効率が良いのではないかと思ってた節もありました。しかし、博士課程に入ってから、カレッジが如何に大切な空間であるかに気づかされました。例えば自分は人工知能について研究していますが、研究室内でエコーチェンバー現象が起きていると思うことも多々あります。特に、人工知能のもたらすリスクや社会的影響についての意識の温度差は大きなものです。例えば、既に人工知能により失われたポスト、もしくはその手のポストの新規採用を辞めた企業は少なからずありますが、機械学習のコミュニティー内でそのような社会現象を真剣に捉えている人は少ないか、二極化しているように思われます。しかし、もしテクノロジーを本当に社会のためになるように役立てたいと思うならば、コミュニティー外の声に耳を傾け、何が求められ、何が危惧されているのかを知ることは必須です。カレッジという場のおかげで、自分の分野外の人がどういう認識を持っているのかを知り、よりバランスの取れた見方をすることができます。
 学部・修士・博士課程を通じて、数多くの優秀で人格者で、かつ謙虚な方々と出会うことができました。研究室の仲間は素晴らしい業績をあげている方々ばかりです。指導者にも大変恵まれました。学部の指導教官のニック先生、博士課程の指導教官のジョアオ先生、Wayveのインターンで指導していただいたアントニーさんは皆親身で、指導も丁寧で、とても尊敬できる方々でした。このような自分のロールモデルになる方々と出会えたことをとても感謝しています。

オックスフォード大学学部卒業式にて

 

今後の方向性

 この春学期に博士論文を提出する予定です。今後の展望としては、マイクロソフトの研究所で夏に研究インターンをする予定です。また、建設業界の設計ソフトウェアや3Dプリンター、3Dモデリングなどに使われるCADソフトウェアを作っているAutodeskのロンドンオフィスで、AIリサーチサイエンティストとして秋から就職する予定です。引き続き人工知能を社会に役立てられるような応用研究を行っていく所存です。

 

終わりに

 最近つくづく思うのは、自分を大切にし、周りの人を大切にし、今という時を生き、毎日に喜びを見いだすことの大切さです。特にコロナ禍のロックダウンの際は、今まで当たり前とされてきたことがすべて覆され、友人や家族にすら会えない生活を余儀なくされました。再びそのような幸せを享受できるようになった今、他の心配事やストレスも戻ってきましたが、このような悩みはとても相対的なものであり、今という時を過ごせていることが如何にありがたいことかを気づかされました。

 留学生活は、故郷や友人、親元を離れ、異国の地にて勉学を積むという意味で最初は険しい道です。周りに優秀な学生がいればいるほど、時には自分に対する自信も失われ、迷うこともあるかもしれません。また、すべてが思い通りにいくわけでもなく、学業面や友人面、教授との関係や資金繰りの面などで苦労することも多々あります。留学生である我々は、そういった悩みをひとりで抱えてしまいがちです。しかし、意外にも話してみれば、優秀で順風満帆なキラキラとした学生生活を送っているように見える人でも、それぞれの悩みや事情があり、苦戦していることもよくあります。留学一年目の初めの頃、ホームシックになっていた時期があったのですが、話してみると意外にも現地のイギリス人の学生もホームシックになっていたと聞いて驚いたのを覚えています。その悩みを共有したことをきっかけに一気に仲良くなれた友達もいました。

 学生生活中、大きな困難に直面したりストレスを抱えたりすることも幾度かあり、一時は目の前が真っ暗になることもありました。しかし、大抵の場合、時が解決する問題がほとんどで、今になってみればなぜそれほど気を揉んでいたのだろうと思うことばかりです。逆に、人生がうまく行っている場合も、知らないところで運が加勢してくれていることがほとんどで、何事も自分一人の努力と実力のみで成し遂げられるものはないと思います。そう考えると、すべてを自分で背負い込まず、自分と周りに優しくなれるような気がします。

 自分の留学も、江副記念リクルート財団の皆様をはじめ、奨学生仲間の皆様、大学や研究室、ソサエティ、カレッジの友人たち、先生方やインターン先のメンターの方々、そして両親の温かい見守りに支えられて叶いました。今までのすべての出会いが、一生の宝です。

 最後となりますが、江副記念リクルート財団の皆様にこのような貴重な機会をいただけましたことを改めて感謝申し上げます。

石田秀
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